今回はウクライナ情勢についてのお話の続編を書きたいと思います。 前回ではざっくりと現在の状況に至る流れや事の裏事情を限られた文字数の中で書きましたので、なぜアメリカのバイデン政権やネオコンが出てくるのかと疑問に持つ方もいらっしゃったかと思います。 そこで今回はもう少し踏み込んだウクライナの状況について書きたいと思います。 東ヨーロッパにあるウクライナは紀元前3万2千年から人が住み、中世には東スラブ文化の中心的存在だった古い歴史を持つ国家ですが、地政学的に東西の要所に位置することから13世紀以降モンゴル帝国に侵攻され、ポーランド・リトアニア共和国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア・ツァーリ国など様々な国によって支配および分割され国家がまとまりません。 そして、ソビエト連邦の崩壊後ウクライナはソ連から独立して中立国を宣言し、ロシアや他のCIS諸国と限定的な軍事提携を結びつつ1994年にはNATOとも提携を結びバランスをとりながら国家の体を成してきました。 ですが、もともと民族的にも宗教的にも異なる国家の東西は大きく二分され西側は欧米寄り、東側はロシアよりの状況が続きますが、油田をはじめとする経済的基盤が東に固まっていたことから民主的選挙を行なっても東側を中心とした親露政権が続いていました。 しかし、それを2014年に米国ネオコン勢力がウクライナに巣食うネオナチを支援し、草の根ならぬ人工芝革命「ユーロマイダン」を起こして親米政権(ウクライナ西側政権)を強引に樹立しました。 ここから今日へと続く紛争の火種がはじまります。 新政権は公用語からロシア語を取り消すなど、ウクライナの東側の人たちにとって暴君のように振る舞います。 これに反発した(ロシア語しか話せない)ウクライナ東側が、2014年3月のロシアによるクリミアの併合、同年4月にドンバス戦争を起こします。 こうして国家は事実上二分した状況が今も続くのです。 2014年当時、前述した形で親米政権になったウクライナは外国人を次々大臣に起用しています。 表向きは汚職防止のために急遽略式手続きをして帰化した人たちを起用しましたので正式には外国人とは言えないかもしれませんが、実際は外国人に違いありません。 まず、注目すべき外国人大臣は金融大臣に就任したハーバード大学出身のナタリー・アン・ヤレスコです。 ヤレスコはシカゴ生まれのシカゴ育ちの米国外交官であり自らファンドも運営していた投資銀行家で、略式帰化してウクライナ人になったのですが彼女の米国籍は残したままです。 しかし、米国もウクライナも二重国籍は法律で禁止していますので、このことからすでに両国政府の意向があるものだと推察できます。 また、このヤレスコが米国で運営していたファンドは実は米国議会の設立によるもので、ウクライナを新自由主義経済によって富を吸い上げることを目的に設立されたファンドとして知られていました。 そのファンドのCEOがウクライナと米国で事実上違法な二重国籍を取得し金融大臣に就任したのですからかなり露骨です。 他にもグルジア出身のアレキサンドル・クビタシビリが保険大臣に、リトアニア出身の投資銀行家だったアイバラス・アブロマビチュスが経済大臣に就任しました。 グルジアはイスラエルから派遣されていた人たちが内閣を構成しており、当時ヘブライ語が内密の会話に使われていたほどで「中央アジアのイスラエル」と揶揄されていた国家です。 さらに驚くべきは、ポロシェンコ大統領の顧問としてグルジアの元大統領で刑事事件の容疑者であったミヘイル・サーカシビリが選ばれたことです。 サーカシビリは米国の法律事務所出身で、2003年にCIAによって実行された「バラ革命」(親露だったシュワルナッゼ政権を強引に転覆)時の暴力的な手法で一躍有名になった政治家です。 当時、シュワルナッゼの与党「新グルジア」が議会選挙で勝ちましたが、サーカシビリは選挙に不法があったと因縁をつけ、武装した正体不明な集団を引き連れ議会占拠しました。 その後、突如サーカシビリが大統領に就任しています(対抗政権にたいして殺人教唆をしたことが分かっています)。 つまり2014年の時点で、ウクライナは乱暴なまでに米国の傀儡国家となっていたのです。 続く
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