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止まらぬ円安と金融市場のカラクリ(2)

今回は為替についてのお話をしたいと思います。 為替というのはご存知のように各国で使用する通貨が違いますのでそれぞれの価格を決める必要がありますが、それを為替市場で日々売買しながら各通貨をペアにして値段が決まります。 ちなみに、この値段は売買される決済によって為替市場で常に上下しているのですが、例えばドル円が上がる原因は2つあり、ドルが買われて上がる、もしくは円が売られて下がった円によりシーソーのように持ち上げられてドル円が上がるといった具合です。 逆にドル円が下がる原因はこの逆です。 また、稀にこの両方が作用して大幅に値段が動く時もあります。 そして、国際為替市場で中心に扱われる通貨のことを基軸通貨と言います。 基軸通貨としての機能を果たすには、

・軍事的に指導的立場にあること ・発行国が多様な物産を産出していること ・通貨価値が安定していること ・高度に発達した為替市場と金融・資本市場を持つこと 

などが挙げられます。 しかし、歴史の移り変わりとともに基軸通貨も移り変わります。 第一次世界大戦までは英国のポンドが基軸通貨でしたが当時の欧州各国は経済が疲弊し、逆に米国は戦争特需で経済が急成長したため、第2次世界大戦末期の1944年に米国のドルを基軸とした固定為替相場制が各国で合意され(ブレトンウッズ体制と言います)これ以降、英国ポンドから米ドルへと基軸通貨が代わりました。 しかし、英国は戦争で米国に負けたわけでなはなく、かつての宗主国でもあるため支配層はそのままです。 その上、米国には階級がありません。 かくありまして、基軸通貨は禅譲したものの英国上層部がいまも米国を実質的に支配し、それもあって外国為替の取引高世界一を誇るのはウォール街ではなく、ロンドンの金融街シティーなのです。 その後、第二次世界大戦を経て米国がIMF(国際通貨基金)体制の下で各国中央銀行に対して米ドルの金兌換を約束したことで、米国は基軸通貨の地位を揺るぎないものとします。 金兌換とは同じ価値の金と交換できる紙幣のことで、この当時1オンス=35ドルでした。 しかしその後「金兌換を約束」は反故にされることになります。 今から約50年前の1971年の夏に世界を震撼させる金融ルールの大きなゲームチェンジが突然、ニクソン米大統領より発表されました。 それが「ニクソンショック」です。 ニクソンショックとは米国が失業とインフレによってドルの金交換に応じられないほど金保有量が減ってしまったことから、それまでの固定比率(1オンス=35ドル)だった米ドル紙幣と金の兌換を一時停止した大幅なルール変更のことを指します。 この兌換停止は諸外国にも事前に知らされずに 行われ、これ以降、米ドルは金の代わりに軍事力を後ろ盾にするようになりました。 そして、1979年にボルカーFRB議長のインフレ対応の高金利政策でドル高に転換 。 1985年にはプラザ合意(先進5カ国による過度なドル高への是正を目的とした為替相場の協調介入への合意)で、レーガン米大統領がドル安政策に舵を切り日本はバブル経済がはじまります。 それから、10年後の1995年にゴールドマンサックス出身のルービン米財務長官が「ドル高は米国の国益」と発言し、米国内の製造業保護が打ち切られ金融立国へ向かいドル高転換します。 この時の産業構造の転換が今日まで続くあらゆる二極化とニューエコノミーを生み、2007年に米国サブプライム問題が顕現化して火急的にドル安へと再び転換 。 その後、リーマンショックの本質的問題を浮上させないため、QE(量的緩和と言い、中央銀行が市場に大量の資金を供給することでデフレの脱却や景気を刺激することを目的として行うこと)がもたらした資産価格上昇とバブル崩壊に対する懸念から再びドル高へと向かいました。 このように、ドル円相場は常に米国の政策次第となり、また交互にドル安政策、ドル高政策を繰り返しながらバランスを取るというより米国は問題を先送りにし続けています(日本は従属しています)。 言い換えれば、社会問題により米国の国体が揺らぎそうになった際、金融政策を大きく転換させてきたと言えます。 この社会問題とは戦争のこともあれば二極化のような様々なことがあり、体制が揺らぎそうになると都度に政策を転換して延命を図っているのです。 こうして、制御不能までに巨大化した市場経済の発端は1990年代後半、当時ビル・クリントン大統領が「不倫スキャンダル」で糾弾される中、それをもみ消すためにメディアを事実上支配するウォール街と「悪魔の取り引き」をしたことに端を発します。 これが現代金融システムの基盤となり、世界経済を支配する体制を創造することになります。 続く

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